「止観瞑想」密接不離のサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想

「ウェルネス」が現代の上位価値として位置づけられている今、「瞑想」が空前の一大トレンドとなっています。
瞑想を日々のルーティンとして取り入れている著名人の名を挙げれば、優れた経営者にトップアスリート、ハリウッドスターなど枚挙に暇がありません。
今、アメリカの瞑想産業は4兆円の市場規模と言われており、もはや瞑想をスピリチュアルなものだと認識することは時代遅れになっているのです。
なぜなら最新の脳科学と測定技術の発展により、瞑想中の脳をモニタリングできるようになったことで、世界中に「瞑想効果」がつまびらかになったからです。
遥か昔、仏教の開祖・仏陀(ブッダ)も行った瞑想は、時代を経た現代の私たちにも良い影響をもたらしているのです。
仏教における瞑想
「瞑想は人の数だけ存在する」と言われるほど、たくさんの種類がありますが、大きく2種類に分けることができます。
サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想です。
この2つの瞑想を併せて「止観瞑想」と言い、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想は密接不離の関係にあります。
サマタ瞑想とは
止観瞑想の「止」にあたる瞑想が、サマタ瞑想です。
インドのサンスクリット語でのシャマタ(奢摩他)、パーリ語でのサマタの漢訳語が「止」になります。
その「止」の字が示すように、特定の対象に深く集中し、思考を「止める」のがサマタ瞑想です。
対象とするものは何でもいいですが、一番分かりやすいのが「呼吸」でしょう。
呼吸の数を数えることを、「数息観」と言い、呼吸は人間の生体活動の中で、自ら調節しやすいため瞑想ではよく対象とします。

サマタ瞑想では、「止」により深い集中状態にあることを「サマーディ」と言い、これを音写した言葉が「三昧(さんまい)」に当たります。
これは日本人にも馴染みのある言葉でしょう。
「三昧」は、「心を一つに定め煩悩を捨てる」という意味で、中国から伝わる段階で、「定」と訳され日本には伝わってきました。
サマタ瞑想では、「三昧」の境地から、禅定(瞑想により対象と一つになること【禅=深い瞑想】)に至り、真理を悟ると言われています。
ヴィパッサナー瞑想とは
止観瞑想の「観」にあたる瞑想が、ヴィパッサナー瞑想です。
サンスクリット語でのヴィパシュヤナー(毘鉢舎那)、パーリ語でのヴィパッサナーの漢訳語が「観」になります。
サマタ瞑想が思考を鎮め、対象に深く集中するのに対し、対象を「観察」するのがヴィパッサナー瞑想です。
別名「気づきの瞑想」とも呼ばれ、「見る・聞く・感じる」をありのままに観察し、否定することも肯定することもしません。
ヴィパッサナー瞑想は釈迦が広めた瞑想であり、現在でも「解脱」や「悟り」を得るための手段として、僧侶たちにより実践されています。
観察する対象はさまざまですが、ヴィパッサナー瞑想では「入息出息観」という、「体から出る呼吸、体へ入る呼吸」を対象として観察することが例としてよく挙がります。
止観瞑想とは
天台宗開祖「智顗」は、サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想を「車の双輪、鳥の両翼」と表現しており、この二つの行法を等しく重要視し、等しく体得すべきだと言います。
もしも片手落ちするようなことがあれば、間違った道に堕落してしまうとさえ言っているのです。

悟りを得るためには、煩悩を減らしていく必要があり、そのための修行を「戒定慧」と言います。
「戒律」で煩悩を鎮め、心を一つに「定め」煩悩を遮ります。
そして「知慧」で煩悩を断ち切るのです。
先述の通り、「定」とはサマタ瞑想であり、「慧」は「真理を明確にする働き」を意味し、これはヴィパッサナー瞑想を指しています。
つまり止観瞑想とは、まずで思考を「止め」、それでもなお留まらず漏れ出ずる思考を「観る=気づく」ことで再び食い止めるという、いわば二重に対策することなのです。
中島正明オンラインサロンとは
5万人の指導実績を持ち、学術的・科学的アプローチにより確実に結果の出るメソッドを提供し続けている、ヨガ・瞑想講師のカリスマ 中島正明 と、その受講生の皆さまの交流・学習の場として、中島正明オンラインサロンは開校いたしました。
ヨガ・瞑想のメソッドや考え方から、経営者としてのマインドなど、「中島正明の頭の中」を皆さまにシェアしたり、 新しいプロジェクトの企画会議に参加していただいたり、双方向のコミュニケーションを楽しめる会員制サロンです。
また、今までに中島正明が開発してきた講座のオンラインアーカイブ動画を、サロンメンバー向けに公開していきます。
サロンメンバー限定コンテンツなども配信しておりますので、どうぞお見逃しなく!